日语作文写作方法

2020-07-04写作方法

  写作方法属于艺术表现方法。下面,小编为大家分享日语作文写作方法,希望对大家有所帮助!

  1. 主语和谓语要尽量靠近。

  如果在主语和谓语之间加入很多修饰词的话,那么句子的意思就很难理解了。

  ×悪い例

  当時中学生だった彼はこけら落しの市民会館で開かれたコンサートでショパンの「雨だれ」を弾いた。

  ○よい例

  こけら落しの市民会館で開かれたコンサートで、当時中学生だった彼はショパンの「雨だれ」を弾いた。

  2. 文章的开头使用短的句子比较好。

  如果开头的句子太长的话,会显得很不干脆利落,这样也无法引起读者的兴趣。比较短小简洁的句子更能有效的激起读者的兴趣。

  ×悪い例

  吾輩は名前もまだなく、どこで生まれたか頓と見当がつかない猫である。 ○よい例

  吾輩は猫である。名前はまだない。

  どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。

  (夏目漱石『吾輩は猫である』より)

  3. 禁重复题目

  尽量不要在文章的开头使用和题目相同的句子。因为这样不会让读者有惊喜的感觉。而且重复相同的话简直是在浪费空间。为了能给人以强烈的冲击,开头非常的重要。还是尽量使用与题目不同的语言来开始吧。

  但是,只有在2中所引用的夏目漱石的《我是猫》算是例外中的例外。

  4. 修饰词要放在被修饰词的附近。

  要时常意识到修饰词和被修饰词之间的关系。

  ×悪い例

  決して私はそのような立派な人間ではありません。+

  ○よい例

  私は決してそのような立派な人間ではありません。

  5. 长的修饰词要放在前面。

  修饰词有长有短的时候,长的修饰词要放在前面,短的修饰词要放在后面。这是因为如果把短的修饰词放在前面,而在中间插入长长的修饰词的话,读者在阅读的过程中,有可能会忘掉最开始的短的修饰词。由于短的修饰词原本给人的印象就比较薄弱,所以有必要尽量将其放在被修饰词的附近。此外,这样一来文章的结构也会变得比较紧凑。

  ×悪い例

  真紅のまさに花の女王とよぶにふさわしいバラの花

  ○よい例

  まさに花の女王とよぶにふさわしい、真紅のバラの花

  6. 先写结论。

  特别是在商务文书和论文当中,原则上都要先写结论,然后再来写明原因和论据。如果不看到最后就不明所以、让人一头雾水的文章,仅仅因为这一点就会失色了。即使是在口头报告的时候,老练的商务人士也会采用形同的做法。 ×悪い例

  A社から、取引開始の申し出があり業歴が60年と長く最近の業績も無難に推移しているものの、最近取引銀行の顔ぶれが頻繁に変わっているので謝絶したいと思います。

  ○よい例

  A社から、取引開始の申し出がありましたが、謝絶したいと思います。業歴が60年と長く最近の業績も無難に推移しているものの、最近取引銀行の顔ぶれが頻繁に変わっているからです。

  7. “标题”要做到让读者一看就明白文章的内容和结论。

  特别是在商务场景中,为了避免浪费时间,需要采用简洁明了的`文书格式。努力做到让人仅仅看“标题”就能了解文书的内容和结论是必要的。 如果要给6的例句加上一个题目,要怎样的题目才好呢?

  ×悪い例

  A社との取引開始の件

  ○よい例

  A社からの取引開始の申し出を謝絶する件

  即使是没有标题的文章,不好好看上一大段就不明主题的文章是不行的。要么在开头的部分,反正是尽量要注意在比较靠前的部分明言想表达的意思。↓

  8. “の”的连续使用不能超过3次。

  使用了打字机的校正功能之后,经常会被批评“の”使用得太多,这样看起来很麻烦,显得冗长乏味。好好考虑一下是否能替换成其他的词语呢。 ×悪い例

  株式の上場の条件の一つは、~。

  ○よい例

  株式上場の条件の一つは、~。

  9. 困难的“ですます”文体。

  我们有时候会烦恼于该在句子结尾使用“だである”文体还是“ですます”文体。“ですます”文体会给人一种柔和且郑重的感觉,另一方面,也伴有生硬的感受。而且还带有易受情绪影响的倾向,因此可以说并不适合逻辑性比较强的文章。其作为文章文体的历史也尚浅,可以说是尚未完成的文体吧。 这样说来,“だである”文体的话倒是没问题,但是同样的情况换成“ですます”文体的话,烦恼着句子的结尾的要怎么办的时候也不少。比如,像“彼女は美しい”这个句子,如果换成“彼女は美しいです”的话,这在语法上是错误的。因为“です”前面应该是像名词或代名词这样无活用的体言。这种情况下,在中间加上“の”的话,即变成“彼女は美しいのです”,这样就正确了。但是,“彼女は美しい”,“彼女は美しいのです”这两个句子的语感有很大的不同。因此,如果用“ですます”文体来写文章的话,可以说其表达受到相当大的限制,这可是一大难点。

  10. 不连续使用“である”“ のである”。

  当读了大学教授或评论家写的书之后,觉得大多数句子结尾都是“である”和“のである”。如果你的手边有这类的书的话,请翻开看一下。非常有趣的,你会发现里边的“である”和“のである”就像是连珠炮似的。像这种情况,如果是在表达强烈判断的时候,偶尔使用倒是无妨,不过如果使用过度,会给人一种盛气凌人的感觉,并让人生厌。

  即使去掉这些东西,文章的意思也不会有所改变,所以在使用的时候还是有所节制比较好。

  ○悪い例

  「自分は国語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがあるのである。慄然といってもいい。文章を読み始めてから数十行にして途方に暮れ進めず戻れず迷い子になった気分になるのである。そして『俺は国語力がないのかもしれない』『論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない』と、自虐的に思ってしまうのである」

  ○よい例

  「自分は国語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがある。慄然といってもいい。文章を読み始めてから数十行にして途方に暮れ進めず戻れず迷い子になった気分になってしまう。そして『俺は国語力がないのかもしれない』『論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない』と、自虐的に思ってしまうのだ」

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